こんにちは。最近テレビを見なくなったオクラです。
正確にはテレビをつけて長時間見ていられなくなりました。
子どもの頃、毎週のようにアニメやバラエティ番組を楽しみにしていましたが、
大人になってからは、とんと見なくなってしまいました。
昔より娯楽の量も増え、ながら見をすることが減った、が正しいでしょうか。
今回は、稲田豊史さん著の
「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 (光文社新書)」
を読みましたので、読書感想をつらつらと書いていこうと思います。
つい先日「ファスト映画」という存在を知りました。
ファスト映画とは普通2時間程の映画を、10分程度に短くしたものを言うらしいです。
2021年に著作権侵害で初の逮捕者を出し、広く知られるようになりました。
逮捕者が出たことにも驚きですが、「ファスト映画」の存在にも驚きました。
ある程度のシナリオがわかるように起承転結をまとめた動画になるので、実際はネタバレなんです。
果たしてそれで映画を楽しんでいるのかは不明ですが、
ファスト(時短)要素はちらほら見かけるようになりました。
忙しいビジネスマンのためのビジネス書の要約サービスの「フライヤー」は有名です。
ファスト(時短)要素に関連して、本書は「倍速視聴」を主題に論点を展開していきます。
等倍はもう遅い?
昨今の動画のサブスクサービスには「倍速視聴」機能が備わってます。
好みのスピードで動画を観ることができるので、忙しい貴方にピッタリ!なんて機能です。
筆者はこの視聴方法で仕事をしていたときもあり、自分の心がザワついたらしい。
倍速視聴をする背景として、作品が多すぎる事が挙げられている。
定額月額制のサービス「Netflix」や「Amazonプライム・ビデオ」などは、
作品数がとても多く、新作も次々と登場している。そのため圧倒的に観る時間が足りないのである。
そこで倍速視聴である。観るスピードを上げる事ができ、不要だと思うシーンは飛ばせば良い。
そんな視聴方法が広まるのは至極普通な気がする。
「作品」という文化的な側面からはきっと理解されないだろう。
シーン一つ一つに意味をもたせ、構成を組み、仕上げていく「作品」。
そんな重要な要素を倍速で観ることは、造り手(供給者)の意図や工夫を理解する事が難しくなる
事は容易に理解出来るだろう。
若者が多く見られる傾向にある
本書の調査によると、
倍速視聴をする傾向にあるのは、20代の男性54.5%、女性43.6%、30代の男性35.5%、女性32.7%
となり、「年齢が若いほど倍速視聴経験率が高い」といえるそうだ。
ここで、少し話がずれてしまうが言いたい事がある。
「若者」ってなんでこんなに対比の一方に置かれるのだろうか。
語弊を恐れずにいうと、「理解出来ない、頭の悪い愚か者達」のように書かれることが多いと感じる。
本書の序章で、調査結果をグラフ化し、その結果若者に多い傾向にある事を示している。
第1章では「倍速視聴は若者だけにあらず」と30〜40代にも同じ傾向の人がいるんだよと示している。
が、一つ言いたい。
なぜ若者だけではなく、他の世代にも同じ見方をする人がいることを序章で述べないのか?
書籍の構成で序盤に出てきた内容はバイアスがかかりやすく、後半の構成にも影響を与えると思う。
それなのに、序章の説明段階で若者の事しか述べないのはいささかズルくないだろうか。
さらに見出しには「倍速視聴経験者は若者に多い?」とある。「?」をつける事で、
断定することを避けているように感じる。そういうように見せているだけで、実際は断定しているのではないか。
構成の最初に「若者」をもってくることで、本書全体の主語を「若者」とイメージさせていると思った。
他の章でも明言こそしないが、「若者」に向けられた意見になるのだろう。
「おわりに」では「倍速視聴は若者に多い習慣であるが、若者だけの習慣ではない」とある。
繰り返しになるが、先に言えば良いんじゃない?と強く思う。
最後にフォローを入れているので、批判があっても逃げ道を作っているので、問題ないですよと言わんばかりである。
対「若者」の構図のほうが、同調意見と批判意見が対立化しやすいのだろうか。
呪術廻戦で五条先生が言っていたセリフがとても好きなので紹介したいと思う。
「最近の老人は主語がデカくて参るよホント!」
さて、話を戻そう。
SNSの発展による閉鎖感
最近のアニメなどではわかりやすいものが好まれるようになっているそうだ。
間や表情で表現するのではなく、感情からなにまで全て説明するのが視聴者に好まれるらしい。
またタイトルでもそれが現れていて、タイトルだけでどんな内容なのかわかる事が売れる秘訣だそうだ。
昨今流行りの異世界転生モノなど、長いタイトルのものが多いのもその現れだろうか。
消費者はハズレを引く事を極端に嫌うようになってきており、
「最短」「効率的」「端的」「容易」を備えている事が好まれている。
SNSの発展により、横の繋がりが強くなり、いつ何時も休まる時間がなくなっている。
離れると取り残される、そんな心配からついていこうと必死になる。
そのためには周りに合わせる必要があり、話題についていくためには限られた時間の中で、
素早く内容を把握する必要があるので、倍速視聴が一般化してきたと述べられている。
なんとも日本人気質な「同調」が見て取れる。
インスタグラム等では素敵な写真ともにコメントが添えられていて、「なんだかすごい人」を
演じる事が出来る。実際すごい人もいると思うが。そんなすごい人が周りにいれば羨ましく思うし、
自分がちっぽけに見えてくる。自分も負けじと誇示する人間が出てきても不思議ではない。
そうした人間は、手っ取り早く正解にたどり着きたいので、時間をかける事を嫌がる。
そこで倍速視聴の登場だ。
「個」の尊重
多様性が尊重され、集団より「個」を重要視する事が増えてきたように思う。
他とは違う個になるために、どうやって個性を作るかが重要になっている。
本書では「オタク」を取り上げている。
1980年代にオタクという言葉が普及したが、当初のイメージは基本的にネガティブイメージだったそう。
その後、2010年代頃から風向きがかわり、カジュアルな使われ方をされるようになる。
好きなものをとことん突き詰めるオタクから、このジャンルの特定の事が好き、のように、
ライトな意味でオタクをつけるようになったらしい。そのおかげで、オタクイメージが変わり、
「推し」なんて言葉も使われるようになった。
「自分はコレが好き!」と容易に発信出来るようになったが、同時にすぐ隣にもっと上がいる状態に
なってしまっているのも現実だ。そう、SNSである。
時間がない?
時間がない。それが映画やドラマを作品から消費物に変えている最大の原因だと思う。
作品数の多さから、観るものが増える。
昔より貧困が広がり、可処分時間が減っている。
時間がないため、時間のかかるものが避けられる。
結果、簡単で、短くて、わかりやすい事が好まれているのではないだろうか。
あと加えると、つまらないものが増えたような気がしている。
動画サイトなどでは、プロの作品がある中に素人の作品もある。
またTV番組では予算がないのか知らないが、面白いと思える作品がない。
個人的な意見になるが、観る価値がない。
そんな価値のないものに貴重な時間は割けない。
その結果、よく言われるのが「若者の〇〇離れ」である。
原因が若者にあるように言われるが、はたしてそうだろうか。
〇〇にも原因はないだろうか。工夫しているのはわかるが、
こちら側は工夫しているので、あとは響かない若者が悪い、とは短絡的ではなかろうか。
映画も然り、つまらないから、ファスト映画なんて時短で見られるように
なってしまったのではないだろうか。
書評が売れなくなっている事も挙げられているが、
理由は単純。必要ないのだ。
知らない人の映画の意見なんて、求めていない。
細かく言うと、
つまらない映画に対する、知らない人の感想など観る価値もない、のである。
少し言葉が悪くなってしまったが、観る価値があると思ったものには、
もちろん時間を割く。
ただ、時間が圧倒的にないのだ。
貧困が招く文化の貧困
ここ最近は円安の影響で物価高のニュースをよくみる。
自分でも実感しているし、いつまで円安が続くのだろうと思う。
さらに賃金が上がらない。実際は上がっているのだが、上げ幅が物価上昇率についていけてない。
つまるところ来年の自分は今より楽になっている予感がないのだ。
そんな社会情勢のなか、若者はどう未来に希望をみろというのだ。
金銭的な貧困は文化の貧困をも招くと思っている。
文化は趣味を土壌に成長していると思っている。
趣味に時間を充て、広がりをもたせて初めて文化になっていく。
つまり余裕が無い状態では育つものも育たないよねっていう事。
まとめ
ファスト映画を皮切りに倍速視聴、コンテンツの消費と最近のメディアの作成方法などを、
非常に多い調査や文献をもとに展開を広げていっており、とても感心することが多い内容で、
読んで損は無かったと思う。各章の終わりに参考文献が記載されており、圧倒的な調査量に
基づく説得力。自分が感じたのは、「貧困」である。
日本は先進国であるために、他の国に追い抜かれているという焦りがないのではないか。
もしくは実際は遅れているが見えないようにされているだけなのではないか。
本質を体裁で隠しているが、体裁で隠しきれない本質の一部が倍速視聴をはじめとする、
文化のコンテンツ化だと思う。
鑑賞から消費へ。時間をかけるものから時短へ。
貧乏への始まりの合図では無いことを願うばかりである。
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